続あやちゃん

穏やかな夜に身を任せるな!

実家に泊まるのは2泊が限界

姉と姪の帰省に合わせて、私も子供と帰省中。

子供が姪に会うのをとても楽しみにしていたため決行したけど、行く前から億劫だったし今もかなりしんどい。

 

両親とは割と仲が良いし育ててもらった恩もあるのだけど、帰省はしんどい。

 

この家が、好きじゃない。

実家にいると、子供時代の不快で惨めな生活を思い出す。

年老いた両親に過去の怒りをぶつけるわけにもいかず、妹に愚痴るだけ。

 

 

30畳の一軒家に6人家族で住んでいた。

リビングはたぶん10畳くらい。

そこに6人用のダイニングテーブルと椅子6脚が置かれていた。

 

父が中古で買ってきた大きなグランドピアノもあった。

小さい頃は母がピアノを教えてくれたけど、間違えると手をピシャリと叩くのでみんな習うのをやめてしまった。

父にとってピアノは中上流階級のシンボルであり、誰も触らないただの置き物になってもリビングに置くことにこだわり続けた。

 

乾燥機がなかったため、雨の日はリビングに大きな物干し竿が設置され6人分の洗濯物が干された。

 

冬になると、更にコタツが設置されたのでもう人が歩けるようなスペースはなかった。

 

 

兄には2階の5畳ほどの一人部屋が与えられていた。そこにはベッドのほかテレビや勉強机もあったため、兄は殆どの時間をそこで過ごした。

 

姉妹3人には、2階の14畳ほどの部屋を子供部屋として与えられていた。

白い学習机が3台並べられる広い部屋だった。

そして夜になると、兄を除く家族5人でそこに布団を敷いて就寝した。

父は、子供と川の字になって寝ることこそが家族の幸せだと信じていた。

父のいびきがうるさく、耳を塞いで寝る日々だった。自分のスペースなんて、狭い家のどこにもなかった。

そしてそれは実家を出るまで続いた。

 

 

父は、兄を大人の男として早々に認める一方で、私たち娘のことはいつまでも子供として扱った。

 

社会人になって早々に家を出ようとしたが、娘は結婚するまで親の保護下にあるべきだ、というのが父の価値観だったため猛烈に反対された。

結局、2つ下の妹が社会人になるのを待ち、かなり強引に2人で一緒に家を出た。

 

 

親と一緒に暮らすということは、親の価値観に全面的に従うということだ。少なくとも子供のうちは。

 

私は親の価値観のもと、とても窮屈で不自由な子供時代を過ごした。

何かに夢中になったり、好きなことに集中したり、世界を広げる環境や機会にはあまり恵まれなかった。

社会的資本の乏しい環境、っていうやつだと思う。

 

両親を恨みたくなる気持ちもある。

でも両親たちもまた、自分たちが育ってきた階級や環境を抜けようと必死に努力してきたことを知ってる。

そして子供達を支配することによって、理想の家庭を実現していた。

両親を恨めないし怒れないから気持ちのやり場がなくて辛い。

 

 

自分の家庭を持ち、価値観の合う夫と生活するいま、毎日がとても快適だ。

常に整理整頓されているわけではないけど、清潔で好きな物で満たされた我が家が大好きだ。

その分、子供時代を思い出すのがますます辛くなってきている。

 

 

昨日実家に到着すると、家の中は綺麗に掃除されて花が飾られていた。両親は笑顔で迎えてくれ、晩御飯で何を食べたいか聞いてきてくれた。

先に帰省していた姉によると、私たちのために布団も干してくれていたらしい。

 

私が住んでいた頃と比べると、かなり物が減っている。

それでもいまだに6人用のダイニングテーブルと6脚の椅子がリビングに鎮座している。

 

このダイニングテーブルは、両親が執着し実現した理想の家族像の象徴であり勲章なのだと思う。